時は流れて・・・
1~2年もたち、小学4年生の頃はむしろ連れて行ってくれと父にお願いするくらいに成長した私がいました。
今回と次回のパチンコ台やパチンコ屋さんの当時の状況の記憶はかなり曖昧です、時代がずれている可能性が高いですが、私の頭に残っている曖昧な記憶を前提に話しを進めていきたいと思います。
もはや、いつ思い出せなくなるか、わからない曖昧な記憶なのです。
下手をすると妄想になるかもしれませんので、フィクション(作り話)ぐらいに感じて
読み進めていただければと思います、許して下さい。
不正確な記憶ですが、スリーセブンが出始めた頃だと思います、羽根ものは、もう少し後で当時はいわゆるチューリップ台全盛の時代です、スタンド式ではなく椅子に座り、台を打つ時代となっていました。
またぞろ不正確な記憶ですが、スリーセブンではなく、ツーセブンもあったと記憶しています。
確かそれらは目押しができ、くるくる回るパチンコ台の中央を凝視し、台の横にあるボタンを押し、「7」をそろえることを目指す台だったと思います。
父のちょっとした知り合いだったパチプロ(パチンコで生計を立て、パチンコを生業とする猛者)などは、どこでどう鍛えたのか後ろから眺めていると常に最低でも776や778の惜しい数列を連発していたのです、不思議でした、あんなに早く回っているものを捉えるタイミングに感動し、まるで超能力者を見るような感覚でした。
うっすらとした記憶ですが、そのパチプロの方は、まるで当時の銀行マンのようにビッチリ7:3分けで、背広とまではいきませんが、いつもパリッとした服装をしていたと思います、さらに、これまた曖昧な記憶ですが、小学生のお子さんもいらっしゃったと思います。
余談です、ある日、父と母が、パチプロだと子供の学校の書類関係の父親の職業欄に何て書くのかね、との会話をしていた記憶があります、父が「自由業なんじゃないかぁ」と、そのとき、自由業という言葉を初めて覚えました。
閑話休題、
また当時は手打ち式と自動で打てる台が入り混じっていた時代です。
手打ち式はあったにはあったのですが、少数派(風前の灯火状態)だったのです。
手打ち式は、親指ではじくレバーの下に手を固定し連続で打ちやすくするための小指と薬指で挟む箇所(棒状のもの)がありました。
上記記載のパチプロ氏は手打ち式を打つ場合、長時間打ち続けることでの指の疲れ等への対策だと思うのですが、上記棒状のものと小指と薬指との間に白いハンカチ(若しくはガーゼのようなもの)を挟んでいたことを記憶しています。
その用意周到な立ち振る舞いとこなれた感にも感動とカッコよさを覚える幼い自分がいたのでした。
パチンコ屋の中を何周かすると10発はパチンコ玉を拾うことができました。
途中であきらめ開いたチューリップはそのままにして、立ち去る大人の方がいたのです。
その開いたチューリップを拾った僅かな球で狙い、そこに入ったら即やめるというスタイルで、コツコツ貯めたパチンコ玉を景品交換するとチョコレートやジュースと交換できたのです。
続く
妻と銀座のライオンにて。
ひかりの関係か暗いのですが。
ブログの内容とは繋がらないです。
お許しください。
写真のテーマとしては
「妻との休日お散歩、少し早い晩酌編」
です。
